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懐かしの『ウルトラセブン』に登場した「ポインター号」を再現! 33年前に約300万円で仲間と製作…1年かけて公道走行可能な車両に仕上げました

『ウルトラセブン』に登場したポインター号が蘇る

昭和に「ウルトラシリーズ」を観て育った世代にとって、正義のヒーローとは別に夢中にさせられたのが「ウルトラ警備隊」の特殊車両「科特隊専用車」でしょう。その中でもとくにギミックな作り込みで話題となったのが、1967年に放送が開始された『ウルトラセブン』に登場した「ポインター号」です。そんなポインター号を愛車とする城井康史さんのマシンを紹介します。

ひょんなことからレプリカ製作することに

『ウルトラセブン』の劇中で地球防衛軍の警備車両として登場した「ポインター号」は、「TDF PO-1」とも呼ばれていた。そんな誇り高き正義のクルマ「ポインター号」のレプリカを愛車として所有しているのが、城井康史さんだ。このポインター号は、公道を走れるようにナンバーを取得し、自家用車として作られている。

ポインター号を製作することになったきっかけは、仲間たちとの飲み会での出来事だったという。みんなクルマ好きで、「日本で一番有名なクルマは何だ?」という話題になり、いろいろなクルマが出てきたなかで全員納得したのがポインター号だった。そこからポインター号のベース車はクライスラー「インペリアル」という珍しいクルマだったなどと話が徐々に広がり、最終的に城井さんが「もしそのインペリアルが見つかったらポインター号のレプリカを作ってみようぜ」といい、ほぼ酔った勢いで城井さんがよく知る輸入車専門業者に連絡することに。

飲み会での会話だったのでその場限りの話かと思っていたが、その依頼した業者がアメリカで希少な1958年式のインペリアルを発見したという連絡が入った。仲間たちの間ではどうする? という話になったが、お酒で酔った勢いのノリとはいえ言い出したのが城井さんだったので、自身でポインター号の製作を開始したそうだ。

実際にデザインした成田 亨氏からアドバイスを受ける

現地から届いたクルマの状態はとても良く、「これならポインター号が作れるかもしれない」と思ったそうだ。そこからポインター号の製作を本気で計画。当時、城井さんの年齢は20代後半。自分でできることをこなし、仲間たちにも協力を依頼して製作を始動した。それは1991年頃、今から33年前の話ということだった。

ベース車が見つかっても、ポインター号を作るための設計などが存在するはずもない。そこで、まず詳細なイラストを描き、そこから模型をプロモデラーの方に作ってもらい作業を進めた。それでも本物のポインター号を間近で見ているわけではないので不安だらけ。だったらと持ち前の行動力で実際に製作に関わった方を探し、その方にイラストと模型を見てもらうことを決意した。

さまざまな人に協力してもらい、実際の製作者から貴重なアドバイスをもらって本格的に模型を実寸サイズとして再現する作業を進めたという。その貴重な助言をしてくれた方というのは、ポインター号をデザインした成田 亨氏ということだった。

製作期間は約1年、費用は約300万円

当初ボディはFRP製で成形を考えていたが、実際の製作者の助言からフェンダー、バンパーの一部を切断し、新たに鉄板を叩き出して溶接でフォルムを再現した。さまざまな試行錯誤を繰り返し、約1年の製作期間を費やしてレプリカを完成させた。

この約1年間に製作にかかった費用は、約300万円ということだ。もっとかかっていてもおかしくないが、

「この金額で抑えられたのは仲間たちの協力のお陰。もし専門業者に依頼したら、倍では済まない費用になっていたと思います」

と話してくれた。また実際のポインター号も公道仕様として作られていたので、このクルマも車検を通せるように作り込んでいる。ベース車がかなり古いため、陸運局の公認が取れるまで苦労の連続だったらしいが、当時はまだ構造変更、改造申請が現在よりも範囲が広く、正当な理由があれば公道仕様として許可された時代だったこともあり、無事にナンバー取得に成功した。ちなみに現在では、この形状のクルマは認めてもらえないと城井さんは話す。

現在は、ポインター号はイベント用として活躍している。イベント会場までは自走で行く主義ということで、どこかで見かける機会もきっとあるはずだ。さすがにポインター号が突然隣に現れたら、びっくりどころの騒ぎじゃないだろう。城井さんの現在の趣味は、このポインター号で全国各地にある『ウルトラセブン』のロケ地を巡ることだそうだ。

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