ボロボロでもミウラなら売れる……?
2024年10月26日にRMサザビーズがロサンゼルスで開催したオークションにおいてランボルギーニ「ミウラP400」が出品されました。シャシーナンバーは「3195」。1966年に販売が開始されたミウラの中では53番目に製作されたモデルでした。
近年、価格が高騰しているミウラ
ランボルギーニ「ミウラ」は、スーパーカーの歴史の始まりに位置するモデルであり、自動車の芸術性とエンジニアリングの象徴であると評されるモデルだ。それだけにミウラを求めるファンは多く、ここ近年のオークション・シーンでの値上がり幅も、ランボルギーニ車の中では最大の数字を記録している。
そしてその傾向は、10年前にランボルギーニがクラシック部門のポロストリコを新たに設立して以来、さらに加速度的に上昇する傾向が高まった。各々の履歴がより正確に分かるようになったからだ。
先日RMサザビーズが開催した「ザ・ルディ・クライン・コレクション」にも、3台のミウラが出品されていた。今回紹介するのは1967年式の「ミウラP400」で(リアにはなぜか「S」を意味するエンブレムも装着されているが)、シャシーナンバーは「3195」。1966年に販売が開始されたミウラの中では53番目に製作されたモデルである。
薄型シャシーを持つミウラ
ランボルギーニはミウラの生産プロセスの進化の中で、最初の120台ほどのミウラP400のシャシーには、のちのモデルで使用された厚さ1mmのスチールとは異なる。より薄い厚さ0.9mmのスチールを用い、これは「薄型シャシー」と呼ばれ、ミウラの歴史に詳しいマニアには良く知られているところである。
この「3195」もその生産順から考えれば薄型シャシーを持つミウラであることは確かで、ランボルギーニのファクトリー・レコードによると、ブルー・フィンタペッレのトリムの上に、ジャッロ・ムイラという人目を引くボディカラーをまとって、サンタアガタ・ボロネーゼの本社工場から出荷された記録が残る。
「3195」はローマのランボルギーニ・ディーラーを通じてカスタマーに販売される予定だったが、じつはそこからの履歴はほとんど判明していない。それが再び明らかになるのは、1979年5月にアメリカ、カリフォルニア州ロサンゼルスのボールドウィン・ヒルズ近辺に住む紳士のもとで名義変更された時で、その後1980年5月、「3195」は特定できない問題を抱え、走行不能となった。そして44年間の永い眠りについたのである。
エンジンとトランスミッションはないが……
途中でミッドの4L V型12気筒エンジンやトランスミッションなどのメカニズムは売却されたため、これからこの「3195」をレストアするという勇気を持つオーナーは、そのような事情を深く考える必要がある。
ミウラP400のミッドに搭載された4LのV型12気筒エンジンは、最高出力で350ps、最大トルクでは360Nmを発揮するもの。こちらも現在そのベース・エンジンを探し、レストア作業に入るには、それなりの困難が伴うはずだが、メカニカルなパートが完全に修復され、再びファクトリー仕様のジャッロ・オーバー・ブルーに戻せば、その姿は素晴らしく魅力的なものになるのは確実だろう。
参考までにRMサザビーズが、エンジンレス・ミッションレスの1967年式P400ミウラに設定したエスティメート(予想落札価格)は、35万〜45万ドル(邦貨換算約5330〜6854万円)。注目の落札価格は61万ドル(同9290万円)と驚くべきものだった。薄型シャシーの希少性、そしてボディのコンディションが比較的良好であったことが、この高い評価を生み出した直接の理由であったことは間違いないところだ。