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ランボルギーニ「カウンタックLP400」が地元の百貨店にやってきた! カッコよさと排気音の迫力にしびれてそのまま自動車ライターになっちゃいました【極私的スーパーカーブーム】

スーパーカーカードもブーム当時の人気アイテム

漫画『サーキットの狼』連載開始から50年! スーパーカーブームを振り返る

1970年代後半に日本を席巻した「スーパーカーブーム」のきっかけは、池沢さとし(現・池沢早人師)さんによる漫画『サーキット狼』の大ヒットでした。その連載開始が週刊少年ジャンプ1975年1月6日号(発売は前年12月10日)ということで、AMWでは2025年を「スーパーカーブーム50周年」と見立て、当時の熱狂を知る皆さんに思い出を振り返ってもらうことにしました。今回は、1971年生まれでランボルギーニ「カウンタックLP500」と同い年の自動車ライター、高桑秀典さんです。

町田の吉川百貨店に登場した青いカウンタックLP400

1971年に生まれた筆者は、間違いなくスーパーカーブームのことを知っている(実際に経験した)最後の世代だ。

ブーム全盛時にまだ小学生(しかも低学年)だったので行動範囲が限られていたが、全国的に盛り上がったスーパーカーブームの勢いとは凄いもので、筆者が生まれた東京都町田市にも、地方巡業中のランボルギーニ「カウンタックLP400」がやってきた。

当時の町田市にも複数のデパートがあったが、その中のひとつとして市民の暮らしを支えていた吉川百貨店の駐車場で子どもたちに披露されたのは青いカウンタックLP400で、これが人生で初めて見たイタリアン・スーパーカーであった。

高桑家はその昔、週末になるとオヤジが運転する日産「ブルーバードU」で吉川百貨店に家族全員(両親&筆者と弟)で出かけ、店内のレストランでクリームソーダを注文するのが恒例行事となっていた。

今でも元気なオヤジ(1946年/北海道生まれ)は、的確に週末の家族サービスをこなしつつ、カウンタックLP400が何月何日に吉川百貨店に来店するのか? という子どもたちにとって大変重要な情報を見事にゲットしてくれていたのだ。

カウンタックはいつの時代もずっとヒーロー

生スーパーカーのカッコよさ、排気音の大きさにただただ驚いてしまったことを53歳になった今でも鮮明に憶えており、このときにヤル気スイッチがパチンと入ってしまい、大人になって筆者はクルマ関係のライターになった。

弟は1973年生まれなので吉川百貨店でスーパーカーブーム全盛時にカウンタックLP400を見た記憶は残っていないと思うが、クルマ好きだったオヤジの影響で弟も日産R33型「スカイラインGT-R」などに乗って自動車関連の仕事に就き、オーテックを経て、現在、日産モータースポーツ&カスタマイズに勤務している。

冒頭で記したように筆者は1971年に生まれたが、カウンタックのプロトタイプとして製作された「LP500」が発表されたのも同年のことだった。そう、同い年なのだ。

3歳のときにLP400、7歳のときにLP400S、11歳のときにLP5000S(500S)、14歳のときに5000QV、17歳のときに25thアニバーサリーが登場したが、LP400以外はデビュー時の記憶があり、若気の至りで当初「アニバのデザインはコレでいいのか?」などと思っていた。

大人になって鍋に入っている春菊の味が美味しいと感じられるようになったのと同じように、発表時に違和感を覚えた25thアニバーサリーのデザインもいつしか好きになり、今ではミニカーを飾ったりもしている。

全モデルがカッコいいカウンタックは、いつの時代にも筆者のヒーローだ。

>>>それぞれの【極私的スーパーカーブーム】はこちら

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