サイトアイコン AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

ロータリーエンジンをメルセデスが本気で開発していた! 世界中から注目され数々の記録を樹立した実験試作車「C111」とはなんだったのか?

1969年、ホッケンハイムリンクでテスト走行中のメルセデス・ベンツ最初のC111。当初のボディは白だった

ロータリーエンジンと記録破りの実験試作車、メルセデス・ベンツC111

メルセデス・ベンツ「C111」が初めてその姿を発表したのは、1969年9月のフランクフルトモーターショー(IAA)でした。それは、伝説の「300SL」を彷彿させるガルウイングドアを持つミッドシップ2シーターであり、心臓部には当時「夢のパワーユニット」として世界中の自動車エンジニアが開発を進めていた3ローター型のロータリーエンジンを搭載していました。市販車では全くなく、あくまでもメルセデス・ベンツの実験試作車として、ロータリーエンジンはじめターボディーゼルエンジンなどを搭載して数々の記録を打ち立てたC111シリーズ(I、II、IID、III、IV)。それらが果たした役割にスポットをあて、連載として3回に分けて紹介していきます。

夢のパワーユニット・ロータリーエンジンを搭載し1969年デビュー

ロータリーエンジンの研究は原理的には1588年から行われてきた。その中で、1951年、当時世界的に有名なオートバイメーカーであり、4輪車部門への参入を計画していたドイツのNSU社に新しい技術の構想をもって共同開発の申し入れをしたのが1903年生まれのドイツのフェリクス・ハインリッヒ・ヴァンケル技師(Dr. Felix Heinrich Wankel)であった。この時、彼は49歳であった。

彼は、早くからロータリーエンジンに興味を持ち、1924年には自身のワークショプをつくり研究を重ねていた。第2次大戦後、政府に援助を得て工業技術研究所を設立し、回転機構だけで構成される歴代のロータリーエンジンについて原理や構造を調査・分析し、ロータリーエンジンが内燃機関として成立するために並みならぬ努力を重ねた。そして、1957年にドイツのNSU社とヴァンケル社が共同研究により開発に成功した。開発が成功するとともにNSU社はライセンス事業戦略を展開した。このロータリーエンジンは、三角形のおむすび型のローターが回転することで動力を発生する内燃機関で(RE)、一般的なレシプロエンジンのような往復動機構とは異なることは周知の通りである(メリット&デメリットを含め)。

1969年9月、フランクフルトモーターショーでメルセデス・ベンツが発表したロータリーエンジンを搭載した「C111」は最初からハイライトであった(後続のC111シリーズと区別するためにC111-Iと呼ぶ)。

ボディスタイルは伝説の「300SL」のガルウイングドアに当時夢のパワーユニットとして、世界中のエンジニアが開発を進めていた3ローターエンジンを搭載した。その土台となるシャシー&ボディ設計がレーシングカーそのものであったC111-Iの最高出力は280psを発揮し、最高速260km/hに達した。

来場者はメルセデス・ベンツが世界に向けて公開した近未来的なこのスーパースポーツカーに群がり、驚きのあまり大いに沸き立った。当時のマスコミの間でも「メルセデス・ベンツはついにレースに復帰するのか?」、「いや、これは300SLの後継車なのだ」、「メルセデス・ベンツは市販車全てをロータリーエンジンに決意したのではないか?」と各議論が交わされた。

このフランクフルトモーターショー後も、C111-Iはロータリーエンジンの研究およびフロントサスペンションの先行開発用のテスト車両として使用された。

レコードブレイカーとして数々の世界記録を樹立

そして、1970年3月のジュネーブモーターショーでノーズやホイールベースを延長してより強力な4ロータリーエンジンを搭載した「C111-II」が発表され、最高出力350ps、最高速は300km/hを達成した。しかし、1973年の第1次オイルショックに端を発して、燃費や排気ガスに問題を抱えるロータリーエンジンの商品化の可能性は否定され、メルセデス・ベンツは1976年初頭ついに、ロータリーエンジンの開発を終了した。また、テストの役割を終えたC111-IIは当時のダイムラー・ベンツ社のミュージアムの倉庫に保管された。

しかし、1970年代半ばになり、メルセデス・ベンツは新しい5気筒ターボディーゼルエンジン用のテストベッドとして、C111-IIを倉庫から再び陽の当たるもとに引き出した。メルセデス・ベンツはこの倉庫から引き出したC111-IIに190psまでパワーアップした新しい5気筒ターボディーゼルエンジンを搭載した「C111-IID」を製作し、イタリアのナルドサーキットで1976年6月12日~14日にかけて速度記録に挑戦した。3Lディーゼルクラスのあらゆる世界記録を樹立するとともに、最終的には1万マイル(約1万6000km)を平均速度251.6km/hで走破した。C111-IIDがこれほどの記録を立てるとは、このマシンを開発した当時の記録チームも想定していなかったといわれた。

そうであれば、ボディを専用にデザインした本格的なレコードブレイカー(速度記録車)で挑戦したらもっと素晴らしい記録を残せるのではないか……。こうして誕生したのが1978年の「C111-III」であった。空気抵抗を極限まで低減することを目指したその姿はC111-IIよりさらに長く、低く、スリムなスタイルとなった。事実、空気抵抗はC111-Iに比べて48.2%と半数以下でCd値は0.157まで低減された。エンジンは当時の「300SD」に搭載されていた市販ユニットをベースに、ごく小さな改良が施されていたにすぎなかった。変更されたのは、記録のクラス分けを考慮して、排気量をわずかに縮小して3L未満に収めたくらいであった。満を持してついに1978年4月30日、イタリアのナルドサーキットで歴史的な記録が誕生した。ポール・フレール、グイード・モッホ、ハンス・リーボルト、それにリコ・シュタイネマンの4人のドライバーが駆るC111-IIIが連続12時間にわたるレコード走行において、見事に9つの世界記録を樹立したのであった。

そして、C111-IIIの速度記録樹立から1年後、C111-IIIをベースに1979年に「C111-IV」が製造された。空力性能向上のためフロントスポイラーと、飛行機の水平尾翼状の2枚のリアウイングと垂直尾翼状の2枚のフィンが取り付けられた。エンジンは「SL」用4.5L V型8気筒ガソリンをボアアップして2基のKKK製ターボチャージャーで過給される4.8Lエンジンが搭載された。1979年5月5日、この「C111-IV」はイタリアのナルドサーキットで、403.978km/hのナルドサーキット最高速度を樹立した。

時を経て2023年6月、北米のメルセデス・ベンツデザインセンターで、C111をオマージュした2シータークーペのEVコンセプトカー「ビジョン ワンイレブン(Vision One-Eleven)」が発表され、同年のIAAモビリティに出展された。EQのデザインコンセプトであるワンボウを受け継ぎ、横長のグリルやガルウイングドアなど、随所にC111をイメージしたデザインが施された。動力源はメルセデス・ベンツ傘下のYASA社が開発した高効率の軸方向磁束モーターをリアに2基搭載。この新開発されたモーターは既存のモーターよりもコンパクトで、同出力のモーターと比較して重量と体積が1/3に削減されたといわれている。

次回は、C111シリーズの各モデルを詳細に解説していく。

モバイルバージョンを終了