0.1馬力すら無駄にしないように走らせるのも楽しい!
名古屋の「チンクエチェント博物館」が所有するターコイズブルーのフィアット「500L」(1970年式)を、自動車ライターの嶋田智之氏が日々のアシとして長期レポートする「週刊チンクエチェント」。第51回は「もっとゆっくりでだいじょうぶ」をお届けします。
どこに行くにしてもゴブジ号と一緒だった
少しばかりドンヨリした気分でスタートした2022年だったけど、ゴブジ号で走らなかったわけじゃない。むしろエンジンのオーバーホールでもう少ししたらスティルベーシックに預けることになるわけで、だってしばらく乗れない日々が来ちゃうからな……とばかりに結構あちこちに走っていったものだった。それこそ電車の方が便利な買い物にもゴブジ号、ちょっと遠くても約束の時間までにゆとりがあればゴブジ号、別の試乗車をお借りしていてもゴブジ号、深夜にラーメン食べたくなったらゴブジ号……といった具合。ラーメン屋さんに行くときなんて、ラーメンが食べたくてゴブジ号を走らせてるのか、空いた道でゴブジ号を走らせたいからラーメン屋さんに向かうのか、時としてわからなくなっちゃったくらい。
そんなある日、同業の友人である河西啓介さんとメッセンジャーでやりとりしていて、ふと思い出したことがあった。
河西さんは現在、自動車&オートバイのジャーナリストにしてエディターにしてヴォーカリスト。いったいどれが本業なんだ? ってな多彩っぷり。文も書ける編集もできるクルマに乗れるバイクに乗れるトークもできる動画もできる歌も唄えるギターも弾ける……で、それぞれの分野で支持を集めてるから凄い。彼のFacebookには実にいろいろな人が明るくおもしろいコメントをブチ込んで──まさしく“ブチ込んで”という表現が正しいと思う──活気に溢れているから、彼自身の投稿だけじゃなくてコメントまで楽しいという“一粒で二度美味しい”グリコ状態だったりもする。ちなみに彼の“ダイナマイトポップス”というバンドは類別するならアマチュアではあるのだけど、ライブの告知が出るとわずか数分でチケットが売りきれるほど。しかも見た目は爽やかイケメン。人気者なのだ。
残念ながら彼がヤメて少ししてから休刊になっちゃったけど、河西さんは『NAVI CARS』という自動車雑誌の創刊編集長でもあった。あるときFacebookのメッセンジャーを通じて連絡をいただき、『NAVI CARS』でも仕事をさせてもらうようになって、以来のおつきあい、だ。
偶然の出会いで思い出した、NAVI CARSで乗ったチンクエチェント
年明け早々のメッセンジャーでのやりとりはトリトメのないことだったのだけど、思い出したのはトリトメのないことではなかった。遡ること数カ月前の2021年10月某日、僕たちは出先でバッタリ出くわしたのだった。試乗会が終わって台場のコンビニエンスストアでコーヒーを買い、家に帰るべくゴブジ号を走らせてたら、見覚えのあるジムニーが道端に停まってる。河西さんのジムニーはAPIOがデモカーとして作った魅力的な1台で、見れば一発でわかっちゃう。河西さんも“チンクを見たとき、やっぱりって思いましたよ”と笑ってた。そのとき僕は“あっそーだ。ゴブジ号、河西さんにも乗ってもらわなきゃ……”と思ったのだった。そう思ったことを思い出したのだ。……ややこしい書き方だけど。
そしてイモヅル式に思い出したのは、“そういえばNAVI CARSでチンクエチェントの原稿も書かせてもらったよな……”ということ。2013年11月発売の第9号、“ちいさいクルマは、楽しい!”という特集の中で、ヌォーヴァ500の初期の頃のモデルに乗って感じたことをしたためたのだ。
そのときの原稿がパソコンの中に残ってたので、読み返してみた。ほほぉ……と思った。だって、まだチンクエチェントと暮らすことになるなんて微塵も思ってなかった2013年に感じたことと日常的に触れるようになった2022年で、感じてることがほぼ一致してるのだ。
河西さんが“もっとゆっくりで だいじょうぶ”とタイトルをつけてくれたページの僕の文字原稿は、こんな感じだ。10年近く前に書いた文なんて拙いわテカテカしてるわでだいぶ恥ずかしかったのだけど、そこからさらに3年が経過した今はもっと恥ずかしいのだけど、Web用に読みやすいよう改行を増やすなど整理して、紙の雑誌ゆえ文字数に制約があって渋々別の言葉に変えた部分を元に戻し、文章作法としてやや適切じゃないなとあらためて感じた部分を修正し……とごくごく軽く手を入れた。でも、表現に関わる部分はそのままだ。お暇な方にはぜひ御一読いただきたい。
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ゆっくりスロウに走るのが心地よい
ようやく雨が上がって昼過ぎには空が高く青く晴れ渡ったから、それなのに暖かさだけはちっとも取り戻せていない晩秋の街へ、古いチンクエチェントで散歩に出る。
ちょっと考えて、まだ少し早いかとも思ったけれど、ダウンのコートを着込むことにした。だって、そもそも散歩は小さな旅だ。吹けば飛ぶようなクルマで行くのなら、なおのこと。望んでもいないのに、ときには冒険旅行の中にいるような気分にさせられることすらあるのだから。
散歩の相棒は、ただのクラシック・チンクエチェントではなく、プリマ・セーリエだ。1957年に発売されてから20年後に生産中止となるまでに400万台ほどが世に送り出された2代目フィアット500にあって、4000番台のシャシーナンバーを持つ、ごく初期のクルマである。
後ヒンジの前開きとなるドアに、開閉機構のないサイドウインドウ。代わりにリアウインドウのところまで大きく開くトップがある。今年は秋が短くて、綺麗に澄んだ秋空と触れ合う機会を逃すのはもったいないから、今日はそれを開け放ちたい気分なのだ。そうなるとヒーターなんてあってもなくても同じようなもの。気温がさらに冷え込んだら、さすがに寒かろう。だからグローヴまではまだ要らないにしても、ダウンのコートは備えあれば憂いなし。ジッパーとボタンをエアコン代わりにするのが最良の選択だ。
それにしても小さいな……と思う。長さは大人が僅か数歩で通過できる2970mm。幅は小学生が横たわったぐらいの1320mm。高さはちょっとしたスポーツクーペ並みに低い1335mm。4人乗りの自動車としては、これは360cc時代の日本の軽四輪と並んで間違いなくミニマムなサイズといえるだろう。ついでにいえばホイールベースは1840mmで、トレッドは前が1121mm、後ろは1135mm。その四角い枠よりもう少し小さな面積に、4人の乗員が収まることになる。
そんなふうに数字で考えると“チンクエチェントの車内はどれだけ狭いんだ?”と思うのだけど、実のところはそれほど窮屈さを感じない。薄っぺらなくせに妙に居心地がいいドライバーズシートに腰掛けてみると、たいして身体を捻らなくても助手席側のドアロックに手が届くし、四方八方見回してみれば狭いことに間違いはないのだけど、圧迫感というものがなく、そこにいるのが少しも嫌じゃない。むしろ隣に愛しい人が座っていたならときどき肩に腕を回したりしながら走りたいだとか、ヤロー4人パンパンに詰まってゲラゲラ笑いながらどこかへ行きたいだとか、いけないことも込みで明るく夢想してしまうような朗らかな気分にすらなる。
昔のイタリアの人達は、チンクエチェント・ベイビーという言葉が証明するようにこのクルマの中で愛を育んだり、家族や友達で車内を充満させたりしながら、自由に移動できる喜びをヌォーヴァ500で初めて満喫した。そうした歴史を知っているせいか、あるいはこれ以上はあり得ないほどミニマムな空間に身を置いた開き直りがそうさせるのか、妙に愉快な感覚なのだ。何とまぁ不思議な空間であることか。
そして──ポロロロポロロロ。
エンジンがアイドルしてるときのサウンドは、情けないほどにおっとりしている。この時代の空冷直列2気筒OHVは479ccで、たった13ps。性能的にもミニマムだ。けれど車体が500kg程度と軽いこともあって、意外や想像するより遥かにちゃんと前へ進む。ロー・ギアがショートだから後続車に急ブレーキをさせないよう距離をしっかり測って発進する必要はあるが、2速と3速はそれなりに伸びるので、一般道が法的速度+αくらいで流れている限り、ほどほどの回転で繋いでいっても、それに追いつくのはさほど困難なことじゃない。そこから先は意外なほどに粘っこいトルクに乗って、ニンマリできるくらいにはよく走ってくれる。嘘でも速いとはいえないけれど、絶望的というわけでもないのだ。
が、流れの速い道路に突入したときや真後ろに好戦的なクルマがついたときには、ちょっとばかり生命の危機じみたものを感じたりすることがないわけでもない。今の基準からすれば、ここ一発の加速力は控えめにいっても緩慢。ノンシンクロのギアを労るためにシフトを替えるにはダブルクラッチは必須だし、ギアを落とすときには注意深くエンジンの回転を合わせてあげる必要もある。そのうえ生まれた時代にしてもクルマ自体の作りにしても、抜群の直進性を見せてくれるような要素を持ってはいない。
そうしたクルマを綺麗にスムーズに走らせる行為には実にインテリジェンスな楽しみがあるにはあるのだが、それを味わってる場合じゃない。鼻先が軽くてホイールベースとトレッドのバランスがいいおかげで、コーナーは若干オーバーステア気味ながら気持ちよく素早く駆け抜けてくれるけど、それを楽しむ場面でもない。何せ軽自動車が戦車に見える。観光バスは壁のようにそびえている。大型トレーラーは大きな山が嵐を伴って猛烈な勢いで地滑りを起こしているようにすら感じられる。混雑した街中では小粒な車体を活かしてスイスイと進んでいける特技はあるけれど、こうした局面ではこのクルマが、そして人間というヤツが、どれほどちっぽけな存在かということを思い知らされたりすることもある。
それでもこんなナリだからか、まずホーンを浴びせられることはない。クルマもヒトも愛嬌が大切なのであり、誰かに優しくされたら別の誰かにも優しくできる自分であろう、などと頭の片隅で考える。その横を次々に様々な乗り物が追い越していく。大きなクルマは特に勢いがいい。いつもの自分はきっとそちら側。強さを満喫したいのだ。このちっぽけなクルマには、そんな能力はない。このクルマなりに、大抵はのんびり行くしかない。
でも、それでいいと思うのだ。例えば740psのフェラーリで通りかかったときには橙と赤の走破線にしか見えなかった風景が、このクルマで得られる速度域では、1枚1枚の葉っぱが織り成す模様であることが判る。橙にも赤にも黄にも、そして今の季節では分が悪い緑にも、色々な種類があることにだって気がつく。その彩りは豊穣で、温もりに満ちている。次第に自分の気持ちが穏やかに癒えていく。そこは大きくて速いクルマでは軽々と飛び越してしまいがちだけど、小さくてゆるやかに走るのがちょうどいいクルマであればこそ、自然に到達できる領域なのだ。ミニマムだからこそ得られるゆとり、といっていいかも知れない。
考えてみると、きっと僕達にはどこか生き急いでいるようなところがある。見栄を切らなきゃならないときだってある。そういうのってちょっとばかりストレスだよな、なんて感じてる自分がいる。スロウな暮らしを送るような贅沢はなかなかできないけれど、でも、クルマで走るときぐらいは許されてもいいんじゃないか?
散歩の帰り道。冬の到来を思わせる空気に身体を撫で上げられながら、小さなカプセルのようなクルマをのんびりと──でも一生懸命に──走らせて、僕はそんなふうに感じていた。
* * *
そうなのだ。もちろん姿カタチも好きだけど、何より僕はチンクエチェントのこういう部分に惚れてるのだな、とあらためて認識させられた。18ps──ゴブジ号は500Lなので──の中の0.1psすら無駄にしないよう細心の注意を払いながら全開で飛ばして走る──けどスピード違反の領域にはまず入れない──のも、なかなか楽しいのだけどね。ゆっくりスロウに走るのが心地よいクルマなんて、そうそうあるもんでもないのだ。その“ゆっくりスロウ”が、実はかなり心に効くのである。
そんなことを考えるでもなく考えながら、僕はその晩、またしてもお気に入りのラーメン屋さんにゴブジ号を走らせた。心の片隅で“オーバーホールが終わってトラブル出しがもう少し進んだら、河西さんに乗ってもらわないとな”なんてチラと思いつつ。
……そうそう。一風変わった企画モノがおもしろかったNAVI CARSは先述のとおり休刊となってしまってるのだけど、Fujisan.co.jpを通じてバックナンバーを購入することはできるみたい。しかも、紙も電子もどちらも用意されている。
何だか懐古の回みたいになっちゃったけど、この号の“ちいさいクルマ”特集、かなりおもしろいので、ぜひとも御賞味あれ。
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■協力:チンクエチェント博物館
https://museo500.com
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