ブリティッシュ・ライトウェイトの代表格「カニ目」は結構お買い得?
かつてはクラシックカー趣味界の花形的モデルだった「ブリティッシュ・ライトウェイトスポーツカー」ながら、高騰を続ける昨今のクラシックカー市場にあって、なぜか往時と大きく変わらないリーズナブルな価格で推移しているモデルも多いようです。クラシックカーのオークション業界では名門として知られる英国ボナムズ社が、2025年1月25日に北米アリゾナ州スコッツデールのコンクール・デレガンス付随イベントとして開催した「Scottsdale 2025」オークションでは、今なお比較的リーズナブルなモデルのひとつ、オースティン・ヒーレー「スプライトMk-I」のキュートな姿がありました。
カエルの目? 虫の目? それともカニ目?
その可愛いらしいスタイリングから、母国イギリスでは「The Frog Eyes(カエルの目)」。メイン市場と目されるアメリカでは「Bug Eye(虫の目)」。そしてスポーツカーによるモータリングではまだ黎明期にあったわが国でも「カニ目」というニックネームで呼ばれたオースティン・ヒーレー「スプライトMk-I」は、世界中のエンスージアストから熱愛されたスポーツカーの傑作である。
このクルマの誕生からさかのぼること6年前となる1952年。英国の民族系資本による二大自動車メーカー、「オースティン・モータース」と、「モーリス」や「MG」などのブランドを有する「ナッフィールド・オーガニゼイション」が合併。イギリス最大の自動車メーカー「British Motor Corporation」、いわゆる「BMC」として第一歩を踏み出していた。
いっぽう、第二次大戦後間もない時期からスポーツカーの少量生産を開始させていたドナルド・ヒーレーは、同じ1952年にオースティンのコンポーネンツを流用した2.7Lのミドル級スポーツカー「オースティン・ヒーレー100」を発表。最大の目的である北米市場を中心に大きなヒットを得る。
しかしこの時代のBMC会長、レオナード・ロード卿は「さほど裕福ではない若者にも手の届くスポーツカー」というコンセプトのもと、小型・小排気量スポーツカーの開発をヒーレーに要請した。その結果として誕生した小型ロードスターがオースティン・ヒーレー「スプライト」。すでに同じグループに収まるMG「Tシリーズ ミジェット」や「MGA」よりも、さらに小さなスポーツカーという新たな市場開拓を狙ったのがヒーレー スプライトMk-Iだった。
北米市場を中心に商業的成功を獲得
1958年3月にMGのアビンドン工場で生産が開始されたスプライトMk-Iは、その数カ月後、生粋のスポーツカーであることを強調するかのように「モンテカルロ・ラリー」を間近に控えたモンテカルロで正式発表された。
じつはBMCとしても初の実用化となったモノコックボディに、この時代のBMC最廉価モデルだったオースティン「A35」およびモーリス「マイナー」からパワートレインやサスペンションなど、基本コンポーネンツの大部分を流用。水冷直列4気筒OHV 948ccのBMC・Aタイプユニットのパワーは43psというささやかなものだった。
しかし、600kgそこそこの軽量がもたらす軽快な操縦性に加えて、ライトウェイトスポーツカーの製作に豊富なノウハウを持つ英国車ならではの本格的なつくりは高く評価され、生来の目的どおり北米市場を中心に商業的成功を獲得するに至る。
1961年には、ボディの前後セクションをより直線的なデザインへとモディファイ。同時に「MG」ブランドで追加設定された「ミジェット」の姉妹車と位置づけられた後継モデル「スプライトMk-II」に跡目を譲ってラインアップから去ることになる。
それでも、デビューからわずか3年足らずの生産期間に4万8997台がラインオフする大ヒット作となったのは、間違いのない事実なのだ。
BMIHTお墨つきのレストアが施された魅力的な1台ながら……
このほどボナムズ「Scottsdale 2025」オークションに出品された1960年式オースティン・ヒーレー スプライトMk-Iは、「コンクールクオリティ」基準で仕上げられた美しいレストアの恩恵を受け、「オールド・イングリッシュ・ホワイト」のボディカラーとともに新車として作られた時と同様に仕上げられている。
1960年7月、アビンドン工場で完成したこの小さなロードスターは、大方のスプライトと同じくアメリカ向けの左ハンドル仕様で、スパルタンで小さなランナバウトにとって理想的な気候である、陽光燦燦のカリフォルニア州ロサンゼルスへと出荷された。
この小さな「Bug Eye」は徹底的なレストアを施され、往年の英国車各ブランドの正統性を認証する「BMIHT(British Motor Industry Heritage Trust)ヘリテージ・サーティフィケイト」証明書に準拠した、新車時のオリジナルに限りなく近い仕様に戻されている。
オールド・イングリッシュ・ホワイトのペイントは全身くまなく魅力的で、ボンネットの内部やボディの下側も同様に白く塗られている。また、BMIHT証明書に明記されているとおり、シルバー塗装のスチール製ディスクホイールにホワイトウォールタイヤが装着されている。
さらに追加オプションには、ヒーターやラミネート入り合わせガラスのウインドスクリーン、ウインドスクリーンウォッシャー、フロントバンパーなども含まれている。
スプライトの魅力は、楽しむというスポーツカー生来の目的にとって余計なものがほとんどない、素朴なシンプルさにある。ちょっと狭いコクピットには、ブラックにホワイトのパイピングが施されたバケットシート、ブラックのラバーとビニールのフロアライニングが装備されている。これは、カーペットのような豪華さは必要ないとする、企画当時のスタイルが順守されている証でもある。
そしてクラムシェル式の重いボンネットカウルを開けると、BMCグリーンで仕上げられたマッチングナンバーのエンジンが現れ、純正スタイルのハードウェアとフィッティングでディテールアップされている。
強気なエスティメートはリザーヴなしで出品
オークションの公式カタログ内では、
「この魅力的なオースティン・ヒーレー スプライトMk-Iは、象徴的で愛すべき小さなブリティッシュ・スポーツカーの、印象的なディテールアップとレストアを施された1台」
と謳いあげたボナムズ社は、2万5000ドル~3万5000ドル(邦貨換算約387万円〜約542万円)という、このモデルとしてはかなり強気ともいえそうなエスティメート(推定落札価格)を設定。その上で「Offered Without Reserve」、つまり最低落札価格は設定しなかった。
この「リザーヴなし」という出品スタイルは、いかなる価格であっても確実に落札されることから会場の空気が盛り上がり、エスティメートを超える勢いでビッド(入札)が進むこともある。しかしそのいっぽうで、たとえ出品者の意にそぐわない安値であっても落札されてしまうリスクもつきまとう、二律背反的なものとされる。
こと今回のオークションに関しては、彼らの強気な姿勢は裏目に出てしまったようで、この日の競売が終わってみれば1万9000ドル、現在のレートで日本円に換算すれば約290万円で落札されることになったのだ。
ちなみに、日本にもクラシックカーとしてかなりの数の「カニ目」が輸入されているはずだが、わが国の英国車スペシャルショップでこのモデルを探す際の目安の価格も、300万円から400万円くらいが大多数を占める。
くわえて、パーツの供給体制も非常にしっかりとしており、リーズナブルな相場価格も相まって、今なおクラシックスポーツカー入門編としての魅力は薄れていないと思われるのだ。