クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB

クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

PUBLICA(パブリカ) 記事一覧

入手して51年! トヨタ初代「パブリカ コンバーチブル」は2度のレストアを敢行…オーナーは新車で購入した「パブリカ セダン」も所有していました

2024年10月20日に埼玉県川島町役場にて今年で4回目となる「昭和平成なつかしオールドカー展示会」が開催され、300台を超えるクラシックカーが集結しました。そんな会場で見つけた気になる車両とオーナーをピックアップ。今回は、非常に珍しいトヨタ初代「パブリカ」のコンバーチブルを紹介します。

19歳女子レーサーがトヨタ「パブリカ」に乗ってみた! 「クルマが軽いからFRのバランスの良さも感じやすいです」【令和女子旧車に乗る】

旧車好きな19歳の女性レーシングドライバー佐々木藍咲(ささき らみ)選手に、さまざまな旧車に試乗してもらって若者目線の素直なインプレをお届けする企画。今回は「エンドレス130コレクション」のご協力のもと、偉大なる大衆車、トヨタ「パブリカ」に乗ってみました。

トヨタ「パブリカ・スターレット」が598万円! 公道走行可能なツーリングカーレース仕様はパワステ装着で楽チンです

1970年代に市販改造車によるツーリングカーレース(TSレース)が行われ、盛り上がりをみせていました。そんなレースシーンで活躍した当時の姿をそのままに、改造車として公認申請済みで公道走行可能なトヨタの「パブリカ・スターレット」を紹介します。

昭和の「1000ドルカー」トヨタ「パブリカ」はなぜ売れた? バリエーション違いで人気に火がついた!【国産名車グラフィティ】

日本経済が高度成長期を迎えマイカーが現実的なものへと変化していった。そのようなときにトヨタは、同社では初となる国民車の開発を開始。当初はキャビンスペースを広くできる前輪駆動であったが、コストや信頼性を優先して後輪駆動へ。そしてパブリック=大衆のためのクルマが1961年6月に登場したのである。

トヨタの大衆車に「夢」を与えた「パブリカ・コンバーチブル」に試乗! 想像以上にスポーティな走りの理由とは【旧車ソムリエ】

今回の主役としてセレクトしたのは国産クラシックカー、トヨタ「パブリカ」のコンバーチブルモデル。「国民車構想」に基づくベーシックカーでありながら設定された瀟洒なオープンモデルの実態と、そのドライビングフィールについてレポートします。

2023年「生誕50周年」の国産車は? 「セリカLB」「ケンメリGT-R」など2リッター以下のスポーツカーの当たり年でした

新年を迎え2023年になりました。いまから50年前といえば、もう十分に遠い昔のことになります。第一次オイルショックやブルース・リーの死去などなど様々な出来事がありました。では、1973年にはいったいどんな国産車が誕生していたのでしょうか。振り返ってみましょう。

国民車構想で生まれたトヨタ「パブリカ」の車名は一般公募だった! ネーミングのもととなった本来の意味とは?

1955年に通産省(現在の経済産業省)が計画した「国民車構想」をキッカケに開発がスタートしたトヨタ・パブリカは、1961年に登場し、1969年まで販売されました。ちなみに車名のパブリカは一般公募によって決められています。同車の魅力を振り返ってみよう。
戦後の自動車シーンを席捲したデザイン「テールフィン」

まるで飛行機の垂直尾翼! 古き良きアメ車の象徴「テールフィン」とは何だったのか?

1950年~60年代のアメリカ車を最もイメージづけるワードは「テールフィン」。今から思えばいかにも退廃的なデザインでした。しかしもちろん、それを愛するファンも少なくないようです。今回はかつてのアメリカ車の象徴となった「テールフィン」を振り返ります。

 

 

 

 

 

 

 

RECOMMEND

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS