クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB

クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。

著者一覧 >

死ぬまでに一度は訪れたい「フェラーリ・マラネロ博物館」とは? 最新2022年の展示車両を一挙紹介

イタリア・モデナ県のマラネロに拠点のあるフェラーリ本社ですが、そこに併設されているのが「フェラーリ・マラネロ博物館」です。F1はもちろんのこと、ロードカーやレーシングカー、プロトタイプまで展示しています。今回は2022年の夏に訪問した館内を紹介します。

発売が50年早すぎた!? 今こそわかる「バモスホンダ」の先進性とは? じつは究極のホビーカーでした

1970年に登場したホンダ・バモスはユニークなボディデザインが特徴的でした。オープンスタイルのスタイリングは、幌が用意されるだけでドアがなく、転落防止用のガードパイプが備わるだけでした。今思うと斬新な同車の魅力をあらためて振り返ってみましょう。

全日本ラリー初代チャンピオンの三菱「ミラージュ」とは? 8段のトランスミッションを搭載していました

1978年に登場した三菱ミラージュは同社初のFFモデルでした。特徴的なポイントは、スーパーシフトと呼ばれる2速の副変速機を持ち合わせており、主変速機と合わせて4×2の8速として使用することができました。あらためて同車を振り返ってみましょう。

「ディーノ」はフェラーリにあらず!? フィアットやリトラクタブルライトもあった「ディーノの系譜」とは

レースレギュレーションの変更により急遽、世に送り出されたロードカーがフィアット ディーノとフェラーリ ディーノでした。フェラーリに至っては史上初のV6エンジンを搭載したモデルとなります。ここではあらためて同車の魅力について振り返ってみましょう。

絶好調ランボルギーニの処女作「350GT」とは? エンツォも悔しがったツインカムV12にアルミボディを採用した意欲作でした

ランボルギーニが量産市販車として初めて生産したのが350GTです。ボディはアルミニウムで、デザインはカロッツェリア・トゥーリングが製作。エンジンはフェラーリがSOHCを使用しているなか、早くもツインカムを採用していました。同車の魅力を振り返りましょう。

「ハヤシ」対「RSワタナベ」のFL550対決に終止符! 手作りミニF1を制した「ファルコン80A」とは

1970年代に登場したFL500は、ハヤシレーシングとRSワタナベ(ファルコン)の2トップが他を圧倒する展開となっていました。今回紹介するのはハヤシから覇権をふたたび取り戻したファルコン80Aです。ここでは空力を意識した同車の魅力を振り返ってみましょう。

日本初のFFモデルはスズキの軽カー「スズライト」だった!? ホンダや日産の最初のFFカーは?

いまでこそFF(フロントエンジン・フロント駆動)が当たり前になっていますが、その歴史は古く、蒸気船にまでに致します。そこから進化を遂げ、オートバイやロングノーズモデルなどに採用していきます。日本においては1955年にスズキが取り入れていきました。

童夢が開発した「ハヤシ712」が関東「ファルコン」勢から覇権を奪取! ドライバーは中野信治選手の父・中野常治選手でした

1970年代には軽自動車のエンジンを搭載した“ミニF1”と呼ぶにふさわしいFL500というものがありました。今回、紹介するのは関東勢のファルコン77Aから覇権を取り戻したハヤシ712です。改良を重ね、勝つマシンとなった同車を振り返っていきましょう。
share:

 

 

 

 

 

 

 

RECOMMEND

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS