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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。

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スーパーカー世代のF1といえば6輪「ティレルP34」でキマリ! なぜ6輪を採用し消えていったのでしょうか

1975年に登場したティレルP34はF1史上初の6輪車でした。車両の空気抵抗を減少させ、トップスピードを向上させることを目的に考えられた手法です。実戦には1976年の第4戦から1977年の最終戦までエントリーしていました。同車を振り返ってみましょう。

バルンくんは日本で「カニ目」英国で「カエル目」と呼ばれています! 「オースティン・ヒーレー・スプライト」の魅力とは

1952年にBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)から登場したのが、オースチンヒーレースプライトです。生産は1972年までの20年間続けられました。愛くるしい丸目2灯のフロントフェイスから日本では「カニ目」と呼ばれています。振り返ってみましょう。

ホンダは日本の誇りだ! F1初優勝を飾った日の丸を背負った「地上を走る戦闘機RA272」とは

1965年に登場したホンダRA272はホンダがF1初優勝を飾ったマシンです。1.5リッターV12気筒エンジンからは230bhpを発揮しました。同年の最終戦となったメキシコGPでは、予選3位スタートでギンザー選手が優勝。バックナム選手は5位入賞となりました。

トヨタ「マークII」はいかにして「ハイソカー」となったのか? 「コロナから生まれた理想のコロナ」だった初代から振り返ろう

トヨタのアッパーミドル・セダン、「マークX」は2019年12月に生産を終了。前身の「マークII」が1968年に登場して以来、半世紀にわたるモデルライフを終えることになりました。今回は初期のマークIIを振り返ってみましょう。

「バナナテール」は5本! トヨタ「セリカLB」は大型レジャー用品も積載できるアウトドア対応のスポーツカーだった

1970年に登場したトヨタ・セリカは、デビューから3年後にはリフトバックが設定されました。スポーツ性能を残しながら、家族で長距離旅行を楽しむグランツーリスモとしても使用可能でした。モータースポーツでも活躍していたセリカLBを振り返っていきましょう。

三菱の「サターン(土星)」エンジンって? 「オリオン」や「ネプチューン」のネーミングは戦闘機エンジン「金星」「火星」にルーツがありました

三菱重工業が製作していた戦闘機用エンジンには「金星」とか「火星」とか惑星名を愛称としたエンジンがありました。ほかにも4G3系を「サターン」、4G4系を「ネプチューン」などと呼んでいました。今回は、1969年に登場したサターンエンジンをあらためて紹介していきましょう。

今見ると新鮮! スズキ「フロンテクーペ」の凄すぎるスペックとは? ジウジアーロも関与したスタイリングも秀逸だった

スズキ・フロンテは初代が1962年に登場。1967年にフルモデルチェンジを実施し2代目となりました。。その3年後にデビューしたのが、今回の主人公である3代目のLC10型フロンテクーペです。ボディデザインにはジウジアーロが関わっていました。同車を振り返ります。

バブルだから実現した三菱とAMGのコラボ! 「デボネアV 3000 ロイヤル AMG」はコスメチューンだった!?

「走るシーラカンス」と呼ばれた初代三菱デボネアは、1986年に2代目へとフルモデルチェンジします。この2代目は、おもに内外装のカスタムが中心ですが、ドイツの名門チューナーであるAMGとコラボレーションしたモデルが存在していました。あらためて紹介しましょう。
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