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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。

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スバルのWRCの原点は「ff-1 1300G」にあった! 丸目2灯のカワイイ顔して採用していた最先端技術とは?

スバル1000のマイナーチェンジとして、1963年に登場したのがスバルff-1でした。その7年後の1970年にさらなるマイナーチェンジを受けてデビューしたのが1300G。当時としては高性能の証だったデュアルマフラーやツインキャブを採用していました。

2代目サニーが「ポルシェ・タイプ」を採用していた! 5速MTがスポーツカーの証だった時代の「サニー1200GX-5」とは

1970年1月に登場した2代目ダットサン・サニー。2ドア・4ドアセダン、2ドアクーペにライトバンが設定されていましたが、1972年8月に5速MTが追加設定されています。当時のMTは4速が主流でした。クルマ好きから注目された、サニーGX-5を紹介します。

3代目の日産「サニー」は不人気だった!? いま見るとイカしたスタイリングが新鮮でカッコいい!

1973年に登場した日産サニー。3代目になり、先代モデルよりもひと回り大きくなったボディが印象的でした。スタイリングは、直線的ではなく、曲面要素を多く取り入れたことで、同世代のバイオレットやブルーバードにも似ていました。あらためて同車を振り返っていきます。

鈴鹿60周年を記念して「グループCカー」6台が激走! もっとも快音を響かせたのは日産「NP35」だった

F1の日本グランプリやバイクの世界耐久選手権・鈴鹿8時間耐久ロードレースの舞台として世界的にも知られている鈴鹿サーキットは、今年で開業から60周年を迎えました。その記念イベントとして懐かしのグループCマシンがデモラン走行を行いました。その模様をお届けします。

国民車構想で生まれたトヨタ「パブリカ」の車名は一般公募だった! ネーミングのもととなった本来の意味とは?

1955年に通産省(現在の経済産業省)が計画した「国民車構想」をキッカケに開発がスタートしたトヨタ・パブリカは、1961年に登場し、1969年まで販売されました。ちなみに車名のパブリカは一般公募によって決められています。同車の魅力を振り返ってみよう。

懐かしの「トミカ シェブロン」が走った! 潜望鏡がついた「アバルト」も富士スピードウェイに集結した眼福のイベントとは

2022年8月27日、富士スピードウェイでは「Fuji SPEED FESTIVAL FOR ENTHUSIAST 2022」と銘打ったクルマ関連イベントが開催されました。なかでも注目されていたのが、観戦型コンテンツの『伝説のF2マシンが走る!』でした。

日産「マッチのマーチ」の系譜が終了! 「スーパーシルエット」から全日本ラリーまでホットハッチとしての初代の活躍を振り返ろう

2022年8月末に国内販売の終了がアナウンスされた、日産のサブコンパクトモデルが「マーチ」です。中でも1982年に登場した初代モデル(K10型)は、モータースポーツシーンでも活躍していました。今回は初代マーチを振り返ります。

マツダ「コスモAP」は昭和の斬新スタイルだった! いま見てもカッコいい高級スペシャリティカーとは

1975年に登場したマツダ・コスモAPは、2種類のロータリーエンジンと1.8Lリッターのレシプロエンジンが用意されていました。車名のAPとは、アンチポリューション=公害対策を意味しています。いま見るとデザインも特徴的でした。あらためて同車を振り返ります。
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