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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。

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「隼人ピーターソン」の愛車で話題に! 世界一美しいクーペの呼び声高い「BMW 3.0CSL」とは

漫画「サーキットの狼」にも登場したBMW 3.0CSL。3.0CSをさらに軽量可したライトウェイトの意味する「L」が与えられ、1971年に登場した。エクステリアはエアロパーツが標準装備され、大型のブリスターフェンダーが特徴的だった。同車の魅力を振り返る。

悪魔の名にふさわしい「いかにもスーパーカー」な見た目と中身! カウンタックの後継車「ディアブロ」とは

1990年にカウンタックの後継モデルとしてデビューしたランボルギーニ・ディアブロ。デザインはフリーランスになったマルチェロ・ガンディーニが手がけている。日本向けに3台しか生産されていないディアブロ・イオタは全日本GT選手権(JGTC)に参戦していた。
プリメーラはツーリングカーレースシーンでも大活躍した

平凡な4ドアセダンだったはずの「プリメーラ」が後世に語り継がれる名車になったワケ

とびきりのパフォーマンスを備えていたわけでもなければ、完璧なスーパースポーツカーを目指したのでもない。社会現象となった高級リムジンとも違う。本当に平凡な4ドア・セダンだったのですが、クルマファンから高い評価を得ていた日産車が初代「プリメーラ」です。

「6輪タイヤ」に「四輪駆動」! マシン開発とルール規制のいたちごっこだった時代の自由すぎるF1

かつてF1GPといえば、最低限の規則に従っていれば、新しい技術開発の場としても使用されていました。ダウンフォースを得るためにウイングを装着したり、4駆システムを導入していた。ここでは、レギュレーションが緩かった大らかな時代のF1GPを振り返ってみよう。

闘うために生まれた「もう一台」のポルシェ! 「934」とは

1976年にデビューしたポルシェ934。FIAが定めるグループ4規定に合わせたモデルで、400台が製造されている。ワークスとしての参戦は少ないがメインはプライベーターに販売され、活動を行っていた。ここではポルシェ934についてあらためて振り返ってみよう。
初代ゴルフが誕生するまでのVWの試行錯誤とは

ビートルが「バカ売れ」しすぎて後継車誕生は苦難の連続! 一筋縄じゃいかなかった世界の国民車「VWゴルフ」誕生秘話

歴史的な傑作車、そして世界的なロングセラーとなったフォルクスワーゲン・タイプ1の後継として登場した「ゴルフ」は、今も世界のトップセラーとしてその名を轟かせています。そんなゴルフが、タイプ1からバトンを受け取ったあたりのシーンを振り返ってみましょう。

1970年代に最高速366km/hの怪物! 昭和オヤジが少年時代にシビれまくった「ポルシェ935」とは

ポルシェ911ターボ(Type930)をベースに製作された935。車名の“5”は、グループ5を意味している。1976年からレースに参戦し、1977年、1978年と進化を遂げながら活動をしてきた。日本でもスーパーカーブーム時代にタミヤ製のプラモデルが話題になった。

WRCで4WD無双! 革命を起こしたアウディ「クワトロ」とは

1980年に登場したアウディ・クワトロは進化を遂げながら1990年まで販売されていた。1981年からWRCに本格的に参戦し、1983年からGr.Bレギュレーションを満たすために、スポーツ・クワトロがデビューしている。今のアウディの四駆の基礎となったモデルを振り返る。
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