クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB

クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。

著者一覧 >

「AE86」はじめ名車揃い! ニッポンを支えた立役者「歴代カローラ」の歩み

トヨタの世界戦略車の一つとしても知られるカローラは、10月20日で生誕55周年を迎えることになります。現行のE210系は初代モデルのE10系から数えて12代目となりますが、トヨタ・カローラとして見たなら、小型乗用車としては国内最長のブランドとなっています。そんなカローラの55年の歴史を振り返ってみました。

元F1ドライバー達でも大人げないバトルを展開! レース界の「生きる伝説」が夢の競演

9月最後の週末、富士スピードウェイではレース界のレジェンドによる“夢のレース”が開催されました。インタープロトシリーズ POWERED BY KeePer 第3大会に併催されたAIM Legend's Club Cup 2021が、その“夢のレース”。レース好きなら、名前を聞いただけで唸ってしまうようなレジェンドたちが、ウエットで肌寒いコンディションを跳ね飛ばすようなレースを繰り広げることになりました。

「魔術師」と呼ばれた伝説のエンジンチューナー! 今やルノーの金看板「ゴルディーニ」が凄すぎた

フランスのチューニングメーカーで、かつてはルノーと提携をしていたゴルディーニ。その歴史は古く、1930年代のシムカからと長い。今回は、マニアでも知っている人が少ない、博物館に展示されていたシムカ時代からF1までヒストリーを振り返っていこう。

生産台数わずか2台! 幻の「マスタング」プロトタイプは痛快ミッドシップスポーツだった

アメリカ国内では終戦後に生まれ、免許取得年齢を迎えた若者たちをターゲットに据えたクルマが誕生している。それが“ポニーカー”と呼ばれるクルマだ。ポニーカーの市場を生みだし拡大させていった牽引車はフォード・マスタング。ただ市販モデルの誕生前にはこんなプロトタイプが誕生していた。早速紹介しよう。

ポルシェ博士悲願の傑作車「ビートル」! フォルクスワーゲン「タイプ1」の歴史を辿る

ドイツの国民車としてスタートし、“ビートル”の愛称で知られるフォルクス・ワーゲンType1は、国内だけでなく北米を中心とした輸出も拡大していた。1941年にデビューしてから2003年までの62年間生産された長寿車としても有名だ。今回は同社の試作車両について紹介していこう。

「技術の日産」を体現した名車「ブルーバード」! 消滅せざるを得なかった「苦しい事情」とは

旧プリンス自動車の流れを汲むスカイラインとともに日産のクルマの中でも長い歴史を持っていたモデルがブルーバードです。80年を超える長い歴史があるとも言えるブルーバードが辿った長い歴史を、本流だけではなく支流も含めて振り返ります。

世界に3台しか存在しない「幻のMR2」! 悲運のラリーマシン「トヨタ222D」の本気すぎる中身

1987年の三戦に向けて、トヨタがMR2をベースにしたグループB/S仕様のラリーカー「トヨタ222D」。マシンの開発が進められる一方、1986年のツール・ド・コルスで大きなアクシデントが発生で幻になってしまった。現在は3台残っているマシンの詳細をお伝えしていこう。

ランボルギーニ幻の「オープンモデル」! 市販されなかった「ジャルパ・スパイダー」とは何か

初の4輪自動車からV12エンジンを搭載してきたランボルギーニ。1970年からは“ベビー・ランボ"と呼ばれるV8エンジンを搭載したモデルも追加されいた。シルエットはタルガトップだったが、後継モデルのジャルパには幻のスパイダーモデルが存在していたのだ。
share:

 

 

 

 

 

 

 

RECOMMEND

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS