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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。

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ポルシェ博士悲願の傑作車「ビートル」! フォルクスワーゲン「タイプ1」の歴史を辿る

ドイツの国民車としてスタートし、“ビートル”の愛称で知られるフォルクス・ワーゲンType1は、国内だけでなく北米を中心とした輸出も拡大していた。1941年にデビューしてから2003年までの62年間生産された長寿車としても有名だ。今回は同社の試作車両について紹介していこう。

「技術の日産」を体現した名車「ブルーバード」! 消滅せざるを得なかった「苦しい事情」とは

旧プリンス自動車の流れを汲むスカイラインとともに日産のクルマの中でも長い歴史を持っていたモデルがブルーバードです。80年を超える長い歴史があるとも言えるブルーバードが辿った長い歴史を、本流だけではなく支流も含めて振り返ります。

世界に3台しか存在しない「幻のMR2」! 悲運のラリーマシン「トヨタ222D」の本気すぎる中身

1987年の三戦に向けて、トヨタがMR2をベースにしたグループB/S仕様のラリーカー「トヨタ222D」。マシンの開発が進められる一方、1986年のツール・ド・コルスで大きなアクシデントが発生で幻になってしまった。現在は3台残っているマシンの詳細をお伝えしていこう。

ランボルギーニ幻の「オープンモデル」! 市販されなかった「ジャルパ・スパイダー」とは何か

初の4輪自動車からV12エンジンを搭載してきたランボルギーニ。1970年からは“ベビー・ランボ"と呼ばれるV8エンジンを搭載したモデルも追加されいた。シルエットはタルガトップだったが、後継モデルのジャルパには幻のスパイダーモデルが存在していたのだ。

メーカー純正の「魔改造」ミッドシップ! 大人気ないほど速かった「ルノー5ターボ」とは

市販車の性能をアピールする世界ラリー選手権(WRC)では、メーカーは様々な技術力を投入していきました。駆動力アップ4輪駆動や、小排気量でもよりハイパワーを絞り出すターボエンジンとミッドエンジン。それらはWRCマシンで今では必須のメカニズムとなっていますが、その中のミッドエンジンターボはルノー5ターボが最初だったのです。

幻の「三菱ギャランGTO」後継機! レーシングエンジン搭載の「R73-X」は何故市販しなかったのか

1970年代にフラッグシップを務めていた三菱ギャランGTO。同社は、エンジン排気量を拡大したその発展モデルへのスタディとなっていた。そこで登場したのが、1972年の東京モーターショーに参考出品された三菱ギャラン GTO R73-Xだった。早速詳細をお伝えしよう。

国産旧車の顔はみんなギラギラしていた! 今はなき「メッキバンパー」の名車たち

クルマのバンパーは1970年代にはメッキ製が主流でしたが、その後、ブラックアウトした樹脂製バンパーを経て80年代にはもう、ボディと一体感を強めた樹脂製のカラードバンパーになっています。メッキ製には輝きもあって、デザイン的配慮がなされるのは当然ですが、その時代的な流れを名車とともに追ってみました。

和製スーパーカー「童夢-零/P2」でお馴染み! 童夢が日本のレース界に残した「2つの功績」とは

ル・マン4連覇を達成したトヨタが、初めてル・マン24時間レースに挑戦したのは1985年。トヨタ系のチューナーとして知られたトムスと、国内屈指のコンストラクター、童夢がジョイントして行ったプロジェクトを支援する格好で、トヨタの“参戦”は始まっています。今回は、そんな童夢の大きな功績を2つ紹介しましょう。
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