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  • 長尾 循(NAGAO Jun)
  • 長尾 循(NAGAO Jun)
  • 1962年生まれ。デザイン専門学校を卒業後、エディトリアル・デザイナーとしてバブル景気前夜の雑誌業界に潜り込む。その後クルマの模型専門誌、自動車趣味誌の編集長を経て2022年に定年退職。現在はフリーランスの編集者&ライター、さらには趣味が高じて模型誌の作例制作なども手掛ける。かつて所有していたクラシック・ミニや二輪は全て手放したが、1985年に個人売買で手に入れた中古のケーターハム・スーパーセブンだけは、40年近く経った今でも乗り続けている。

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憧れの日産R31「スカイラインGTS-R」歴は15年! R30「RS」3台から乗り継ぐオーナーは元日産マンでした

新潟県で2023年7月30日に開催された「いい湯らてい夏フェス」には県内から、年式も国籍も異なる21台のヒストリックカーが集合。中でもいぶし銀の存在感を放っていたのが、江口政和さんの1987年式日産「スカイラインGTS-R」です。

新車購入から29年で走行2.8万キロ! 世界限定220台のランチア「デルタ」の極上個体はガレージ保管・冬場冬眠でした

新潟県で2023年7月30日に開催された「いい湯らてい夏フェス」には県内から21台のヒストリックカーが集まりました。中でも目立っていた黄色いクルマは1994年式のランチア デルタ インテグラーレ エボルツィオーネIIジアッラ。極上コンディションが保たれたレア車のオーナーに話を聞きました。

「カウンタックLP400S」を12年所有する元スーパーカー小僧! 将来は息子が自分で運転できるように、ただいま英才教育中です

2023年7月30日(日)に新潟県三条市で開催された「いい湯らてい夏フェス」では県内から集まった21台のヒストリックカーがパレードランと展示を行いました。その中から今回は、1982年式ランボルギーニ カウンタックLP400S シリーズ3のオーナーに話を聞きました。

昭和の傑作「バモスホンダ」は誰のためのクルマ? 仕事からレジャーまでこなす新時代の軽自動車でした【夏のビーチカー_06】

1950年代から1970年頃にひとつのムーブメントを形作った「ビーチカー」。その多くは量産実用車のコンポーネンツを利用して生み出された派生車種でした。今回は、ホンダが1970年に発売したユニークな軽オープン、「バモスホンダ」を当時の写真で振り返ります。

ダイハツが100台だけ作った「フェローバギィ」は、若さと反骨精神をアピールする遊びグルマでした【夏のビーチカー_05】

1950年代から1970年頃にかけてムーブメントを形作った「ビーチカー」と呼ばれるクルマたち。その多くは量産実用車のコンポーネンツを利用して生み出された派生車種でした。今回はダイハツが1970年に発売した純然たるレジャーカー「フェローバギィ」を振り返ります。

VW「ビートル」が米国で「デューン・バギー」に変身! オフロードレースの覇者から若者の自由のアイコンに【夏のビーチカー_04】

1950年代から70年頃にかけ、ひとつのムーブメントを形作った「ビーチカー」。その多くは量産実用車のコンポーネンツを利用して生み出された派生車種でした。今回は、ドイツのフォルクスワーゲン「ビートル」をベースにしたアメリカ西海岸のアイドル、通称「デューン・バギー」を振り返ります。

「ミニ モーク」は落下傘で投下させて戦地で使う予定だった!? 軍用車とならず洒落たアイコンとなった経緯とは【夏のビーチカー_03】

1950年代から1970年頃にかけ、ひとつのムーブメントを形作った「ビーチカー」。その多くは量産実用車のコンポーネンツを利用して生み出された派生車種でした。今回はイギリスで1964年に登場した4座オープンの多目的車「ミニ モーク」を振り返ります。

シトロエンの「はたらくクルマ」はオシャレすぎて真夏のレジャーカーに!「メアリ」がフランス人に愛される理由とは【夏のビーチカー_02】

1950年代から1970年頃にかけ、自動車史の中にひとつのムーブメントを形作った「ビーチカー」。多くは量産実用車のコンポーネンツを利用して生み出された派生車種でした。今回は、フランスで1968年から20年にわたり愛されたシトロエン「メアリ」を振り返ります 。
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