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  • 長尾 循(NAGAO Jun)
  • 長尾 循(NAGAO Jun)
  • 1962年生まれ。デザイン専門学校を卒業後、エディトリアル・デザイナーとしてバブル景気前夜の雑誌業界に潜り込む。その後クルマの模型専門誌、自動車趣味誌の編集長を経て2022年に定年退職。現在はフリーランスの編集者&ライター、さらには趣味が高じて模型誌の作例制作なども手掛ける。かつて所有していたクラシック・ミニや二輪は全て手放したが、1985年に個人売買で手に入れた中古のケーターハム・スーパーセブンだけは、40年近く経った今でも乗り続けている。

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ダイハツが100台だけ作った「フェローバギィ」は、若さと反骨精神をアピールする遊びグルマでした【夏のビーチカー_05】

1950年代から1970年頃にかけてムーブメントを形作った「ビーチカー」と呼ばれるクルマたち。その多くは量産実用車のコンポーネンツを利用して生み出された派生車種でした。今回はダイハツが1970年に発売した純然たるレジャーカー「フェローバギィ」を振り返ります。

VW「ビートル」が米国で「デューン・バギー」に変身! オフロードレースの覇者から若者の自由のアイコンに【夏のビーチカー_04】

1950年代から70年頃にかけ、ひとつのムーブメントを形作った「ビーチカー」。その多くは量産実用車のコンポーネンツを利用して生み出された派生車種でした。今回は、ドイツのフォルクスワーゲン「ビートル」をベースにしたアメリカ西海岸のアイドル、通称「デューン・バギー」を振り返ります。

「ミニ モーク」は落下傘で投下させて戦地で使う予定だった!? 軍用車とならず洒落たアイコンとなった経緯とは【夏のビーチカー_03】

1950年代から1970年頃にかけ、ひとつのムーブメントを形作った「ビーチカー」。その多くは量産実用車のコンポーネンツを利用して生み出された派生車種でした。今回はイギリスで1964年に登場した4座オープンの多目的車「ミニ モーク」を振り返ります。

シトロエンの「はたらくクルマ」はオシャレすぎて真夏のレジャーカーに!「メアリ」がフランス人に愛される理由とは【夏のビーチカー_02】

1950年代から1970年頃にかけ、自動車史の中にひとつのムーブメントを形作った「ビーチカー」。多くは量産実用車のコンポーネンツを利用して生み出された派生車種でした。今回は、フランスで1968年から20年にわたり愛されたシトロエン「メアリ」を振り返ります 。

「フィアット500」をヨットに積んで海遊び!?「ビーチカー」の始祖「ジョリー」は貴族の道楽から生まれました【夏のビーチカー_01】

1950年代から1970年頃にかけ、自動車史の中に小さいながらひとつのムーブメントを形作った「ビーチカー」と呼ばれるクルマたち。一世を風靡した代表的なビーチカーたちを、当時の写真を交えてご紹介します。まずは元祖と言えるフィアット500ジョリーです。

金魚みたいなクルマが戦前アメリカにあった! 最高速度210キロをマークした流線型「ノーベル・ストリームライナー」とは

第一次世界大戦後から1930年代にかけて工業製品のあらゆる分野で流行したのが「流線形デザイン」でした。そんな時代にアメリカでワンオフ製作されたホッペ&ストレアー・ノーベル・ストリームライナーは、ホイールまで流線形でカバーした個性的なクルマ。モデルカーで振り返ります。

「世界一安全なクルマ」を目指したら半端なトレーラーハウスみたいに!? 本気で量産化を目指した「サー・ヴィヴァル」とは

自動車の普及がいち早く進んだアメリカでは第二次大戦後、交通事故の件数急増。その反動で、かの地では「絶対安全教条主義」的なコンセプトカーがしばしば現れました。こちらの「サー・ヴィバル」もまた「世界一安全なクルマ」を目指して開発された風変わりな試作車です。

左ハンから右ハンへ!「北米仕様」を「英国仕様」に戻された「MGA」の現オーナーはジェントルマンでした

2023年5月3日に開催された「第18回クラシックカーミーティング」の会場から、戦前から続く長い歴史を持ち、一時期は「世界で最も有名なスポーツカー」としても知られたMGの往年の名車「MGA」で参加したオーナーを紹介します。
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