クルマを文化する
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  • 長尾 循(NAGAO Jun)
  • 長尾 循(NAGAO Jun)
  • 1962年生まれ。デザイン専門学校を卒業後、エディトリアル・デザイナーとしてバブル景気前夜の雑誌業界に潜り込む。その後クルマの模型専門誌、自動車趣味誌の編集長を経て2022年に定年退職。現在はフリーランスの編集者&ライター、さらには趣味が高じて模型誌の作例制作なども手掛ける。かつて所有していたクラシック・ミニや二輪は全て手放したが、1985年に個人売買で手に入れた中古のケーターハム・スーパーセブンだけは、40年近く経った今でも乗り続けている。

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BMWのバイクにはパートタイム2WDがあった! 第二次世界大戦後も中国とソ連にコピーされた名作「R75」とは

BMWといえばホンダやスズキと同様、2輪と4輪の両方を生産する数少ないメーカーです。その技術は好むと好まざるとに関わらず、戦時下には優れた軍事技術としても重宝されるもの。第二次世界大戦時のBMWが生んだサイドカー付きモーターサイクル「R75」を紹介します。

旧ソ連時代の摩訶不思議なクルマとは? ホバークラフトと4輪が合体した水陸両用車「GAZ-16A」はSF漫画そのものでした

かつて東西冷戦時代のソ連は常軌を逸した奇天烈メカの宝庫でもありました。今回ご紹介する「GAZ-16A」は1960年代初頭に開発された乗り物で、ひと言で表すならば「自動車とホバークラフトを合体させたもの」。「オートカルト」製モデルカーで見てみましょう。

サーブに前後そっくりのキャンピングカーがあった! 旧車専門誌が「移動編集部」として使っている「サーブ95HK」とは

北欧のスウェーデンでかつて、ボルボと並ぶ自動車メーカーだったのがサーブです。そんなサーブの乗用車をベースとして、トーステン・ヨハネソンなる人物が独自のキャンピングカー、というよりもモーターホームを製作していました。幻の「サーブ95HK」を紹介しましょう。

100年前にティアドロップ型のクルマが作られていた! 貴族がワンオフで作らせた最初期の「アルファ」を紹介します

王侯貴族などのパトロンが文化を育てる流れは、19世紀末から欧米で続々と誕生した初期の自動車の世界でも見られました。好みのデザインのボディを贔屓のカロッツェリアにオーダーメイドして生まれた1台が、この「アルファ40/60HP“リコッティ”」です。

「ロードローラー」の模型の縮尺はどうして1/50? 大人がハマる「建機モデル」のディープな世界へようこそ

日本以上に「クルマ趣味」が深化している欧米。じつに様々なジャンルが存在し、それら全てをお互いが「クルマ趣味」としてリスペクトしあい、共存共栄しているところが素敵です。そんな多岐にわたるクルマ趣味のなかでも、とくに根強い人気を誇るのが建設機械の分野です。

ドイツのナショナルカラーは「シルバー」ではない? イタリアン レッドのメルセデスにまつわる政治的配慮とは

かつて国際格式のモータースポーツは、「その国の威信を背負って立つ」という意味合いが今以上に強く、それを象徴していたのがナショナル・カラーでした。ドイツはもともと「白」でしたが、1924年のタルガ・フローリオで勝利したメルセデスのマシンはなぜか赤く塗られていました。それはなぜでしょうか?

初めて時速100キロを超えた自動車はEVだった! 19世紀末の魚雷型レコードブレーカー「ラ・ジャメ・コンタント号」とは

一般的には1885年にダイムラー、1986年にはベンツが相次いでガソリン・エンジンのクルマを「発明」したのが、今につながる自動車の歴史の始まり。とはいえ、19世紀末から20世紀初頭にかけて次々に生まれた「自動車」の動力源は、ほかにもたくさんありました。

「飛ばない飛行機はただのクルマ!?」市販されたプロペラで走る自動車「レイヤ・エリカ」とは

「風」を動力として利用することは、すでに紀元前から帆船などで行われてきました。しかし20世紀初頭にフランスで製造され、まがりなりにも一定数が量産・市販された「風力(プロペラ)で走るクルマ」はこの、奇妙なプロペラ自動車「レイヤ・エリカ」だけです。
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