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  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 1958年生まれ。大学卒業後、編集制作会社を経てフリーランスに。クルマをメインに、写真、(カー)オーディオなど、趣味と仕事の境目のないスタンスをとりながら今日に。デザイン領域も関心の対象。それと3代目になる柴犬の飼育もライフワーク。AMWでは、幼少の頃から集めて、捨てられずにとっておいたカタログ(=古い家のときに蔵の床が抜けた)をご紹介する「カタログは語る」などを担当。日本ジャーナリスト協会会員、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。

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農道のポルシェ「サンバー」は、スバルこだわりのエンジニアリングが詰まった軽トラでした【カタログは語る】

1961年2月、スバル360のメカニカルコンポーネントを活かし、トラック用のシャシーフレームを採用し誕生したのがサンバーでした。サンバーは現在もSUBARUの現行車の中の1台として商品ラインナップに並んでいます。今回は自社生産最終型となった6代目のカタログを振りかえります。

「ハチロク」より売れた「AE92レビン/トレノ」! FF化してもバブル期の新時代クーペとして絶好調でした【カタログは語る】

もっとも有名なトヨタ レビン/トレノといえばAE86型。その後継として1987年に登場したのが5代目のAE92型でした。FRからFFにシフトしたのが最大のトピックで、結果としてはバブル期に大ヒット。今回はAE92スプリンター トレノのカタログを振り返ります。

80年代のスバル「ドミンゴ」のパッケージがいま欲しい! 国産初の「7人乗り」1リッターワンボックスワゴンでした【カタログは語る】

1983年にスバル サンバー トライをベースに、「国産初の7人乗り1Lワンボックスワゴン」として企画されたドミンゴ。当時のリッターカークラスのワンボックスワゴンでは唯一の存在として、かなり貴重なクルマでした。詳細をお伝えします。

バブル期を席巻した「シーマ現象」!「自動車電話」も備えたハイテク高級車は2代目が最高でした【カタログは語る】

1988年にデビューした日産シーマ。Y31セドリック/グロリアの最上位モデルと位置づけられた3ナンバー車で、当時500万円を超えるハイプライスにもかかわらず大ヒットし「シーマ現象」と呼ばれました。日本が誇る高級車シーマを当時のカタログで振り返ります。

バブル時代にマツダ系列店でシトロエンが買えた!「BX」はユニークなデザインが特徴的なクルマでした【カタログは語る】

1982年にパリサロンで登場したBXは、近年のシトロエンの中でも、世の中にシトロエンを広める役割を果たした1台でした。デザインは数々のスーパーカーを手がけたマルチェロ・ガンディーニによるものでした。あらためて同車をカタログで振り返ります。

「トレノ」ではない「スプリンター」はいくつある? バブルの徒花「シエロ」のテールライトでビビッときた人はかなりのマニアです【カタログは語る】

2002年に3代目スプリンター カリブの販売終了とともに途絶えたトヨタの「スプリンター」銘柄。かつては「トレノ」「カリブ」「シエロ」「マリノ」などが存在した一大グループでした。今回は1987年に登場し1代限りで消えていったスプリンター シエロを振り返ります。

ホンダ「プレリュード」は内装のインパクトが凄かった! デートカーからの脱却を図った5代目を振り返ります【カタログは語る】

2代目と3代目はデートカーとして注目されたホンダ プレリュード。4代目はリトラクタブルヘッドライトを廃止し、スポーツ性を強め新境地を開拓しましたが、成功とは言えませんでした。そうした経緯もあり、1996年11月、プレリュードはこの5代目にフルモデルチェンジされました。同車をカタログで振り返ります。

平成ホンダ「プレリュード」はいま見るとカッコイイ! マッシブなインテリアが魅力的でした【カタログは語る】

2代目と3代目はデートカーとして注目されたホンダ プレリュード。4代目が登場したのは1991年9月のことでした。いま見ると、当時以上に魅力的に映える4代目をカタログで振り返ってみます。
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