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  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 1958年生まれ。大学卒業後、編集制作会社を経てフリーランスに。クルマをメインに、写真、(カー)オーディオなど、趣味と仕事の境目のないスタンスをとりながら今日に。デザイン領域も関心の対象。それと3代目になる柴犬の飼育もライフワーク。AMWでは、幼少の頃から集めて、捨てられずにとっておいたカタログ(=古い家のときに蔵の床が抜けた)をご紹介する「カタログは語る」などを担当。日本ジャーナリスト協会会員、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。

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三菱「デリカD:5」の成功は「デリカスペースギア」から始まった! 今みても新鮮なオフロード系ミニバンとは

1994年にデビューした三菱「デリカスペースギア」はフロントエンジンのミニバンでありながらも、2代目パジェロ譲りのビルトインフレーム構造や「スーパーセレクト4WD」を採用した本格オフロード性能が売りでした。のちに「デリカD:5」へバトンタッチした名車をカタログで振り返ります。

「ランエボ」のエンジンを搭載した三菱謹製ミニバンがあった! 「オデッセイ」より10年以上時代を先取りしていた「シャリオ」とは?

1990年代に日本で起こったミニバンブームの火付け役は1994年のホンダ「オデッセイ」ですが、多人数乗車の乗用車的なミニバンとしては、さらに10年以上早く世に出た、日産「プレーリー」(1982年・初代)と三菱「シャリオ」(1983年・初代)がありました。今回はシャリオに光を当ててみましょう。

マツダ「ベリーサ」は12年もの長寿だったロングセラー! SUV全盛のいまこそ見直される上質コンパクトカーの魅力とは

2004年に発売されたマツダ「ベリーサ 」は上質さを求めたプレミアム・コンパクト。大ヒットこそしなかったものの、幅広い年齢層のユーザーから支持を集めてほとんど大きな変更をしないまま12年ものロングセラーとして愛されました。当時のカタログでベリーサを振り返ります。

ホンダ初代「フィット」はなぜ200万台も売れたヒット作になった? 世界に認められた画期的なエンジニアリングを紹介します

2001年に登場したホンダ「フィット」。登場翌年にはカローラの販売台数を抜き115カ国/200万台を売る空前の大ヒット作となりました。今やホンダと国産コンパクトカーを代表するまで成長した車種となった、フィットの初代を振り返ってみましょう。

ホンダ「ロゴ」は「シティ」の祭りのあとで「フィット」前夜だった!? なぜ「真面目なコンパクト」から個性派「キャパ」「HR-V」が生まれた?

1996年に誕生したコンパクトカーのホンダ「ロゴ」は、系譜でいうと2代目「シティ」の後継車種でした。営業的には失敗作とされていますが、「キャパ」や「HR-V」といった派生モデルを生み出すとともに、2001年の初代「フィット」への中継ぎを果たした功績を振り返ります。

スバル初代「インプレッサ」が30周年! セダンから「WRX」まで広く愛される名車は誕生時からユニークでした

今から30年前の「1992年10月」と記載のある初代スバル「インプレッサ」最初のカタログの表紙は、「ハードトップセダン」が紺色、「スポーツワゴン」が鮮やかな赤、さらに「WRX」はモノトーンのクールな印象のものでした。当時のカタログで振り返ります。

スバル「アルシオーネ」はいま見るとジワジワかっこいい! 空力を意識した未来感あふれる直線デザインがアヴァンギャルドだった

1985年にデビューしたスバル・アルシオーネは直線的なデザインが印象的でした。スバル車で唯一、リトラクタブルヘッドライトを採用したモデルです。内装もエクステリア同様に、斬新なデザインを採用していました。あらためて同車の魅力について振り返ってみました。

トヨタ「クラウン」のワゴンを全部見せます! 新型「クラウン エステート」の先祖は呼び名も違いました

トヨタの新型クラウンは「クロスオーバー/スポーツ/セダン/エステート」と4モデルが同時に公表。クラウンは長い歴史のなかでさまざまなバリエーションを揃えていたのも事実です。ハイオーナーカーであったと同時に、かつては実用車の領域もカバーしていたのでした。
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