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  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 1958年生まれ。大学卒業後、編集制作会社を経てフリーランスに。クルマをメインに、写真、(カー)オーディオなど、趣味と仕事の境目のないスタンスをとりながら今日に。デザイン領域も関心の対象。それと3代目になる柴犬の飼育もライフワーク。AMWでは、幼少の頃から集めて、捨てられずにとっておいたカタログ(=古い家のときに蔵の床が抜けた)をご紹介する「カタログは語る」などを担当。日本ジャーナリスト協会会員、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。

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遊ばずにいられるか! 軽自動車の革命児「ネイキッド」の自由過ぎる発想がスゴイ

1999年に登場したダイハツ・ネイキッド。コンセプトは、素材としてのクルマをどうぞご自由にお楽しみください! というもの。室内にはネジ穴が用意され、活用する方法を各自創意工夫して楽しむこともできた。あらためてネイキッドの魅力をカタログで振り返る。 

スペシャルティカーの上を行く高級スペシャルティカーって何だ? 誰もが羨望の眼差しを向けた4台の懐かし国産車

1970年のトヨタ・セリカ以降の1970年代後半から1980年代にさしかかったころに、高級スペシャルティカーの静かなブームがあった。特徴は、贅を尽くしたクルマだったという。もう少し言い換えると、スポーティさよりも、大人のクルマという印象だった。振り返ってみよう。

「赤」と「陸サーファー」がスターにのし上げた! 昔の若者が大好きだった5代目ファミリアとは

1980年に登場したマツダ・ファミリア。国産FF乗用車で月間登録台数ナンバー1をたびたび記録し、日本カー・オブ・ザ・イヤーの第1回受賞車にも輝いている。とくに赤いボディが人気で「赤いファミリア」の愛称でも知られている。同車の魅力をカタログで振り返る。
2000年に発売された初代トヨタbB

チョイ悪初代&イチャつき御用達の2代目! マジメなトヨタがハメを外した「bB」はやっぱり異端児だった

初代トヨタbBは「未知の可能性を秘めた箱“ブラックボックス”のイニシャルからネーミングしており、ひと目でわかる存在感のあるトールボックスデザインと、若者の様々な使い方をサポートできる広く快適な室内空間を特長とする新コンパクトカー」としてデビューした。

64ps自主規制のきっかけを作ったバカッ速軽! 2代目&3代目アルトワークスはカタログまでマニア仕様だった

1988年にデビューしたスズキ・アルトワークス。同車としては2代目にあたるカタログには、人気キャラクターのポパイとオリーブが登場した。凝ったメカニズムをこれでもか! とばかりに投入。軽自動車の概念を超えるスペックが与えられていたのだ。

フォグランプにまでリトラ! プラチナ&ダイヤのキー! 日本車とは思えない「ぶっ飛んだ」オプション装備8選

日本車の装備の充実度や奇想天外さは、世界でも一歩先を行っていた。例えば、ドアミラーの電動折り畳み機構は日本車が始まりとされていた。それだけでなく、取り外せるスピーカーやサスペンション付きシートなど変わり種装備も多かった。あらためて振り返ってみよう。
「流星ライナー」のコピーで原田知世さんがCM出演していた2代目カローラII

「タコツー」のツー! 「私をスキーに連れてって」の助演車「カローラⅡ」とは

初代「カローラII」は1982年に「ターセル/コルサ」と3兄弟の3番目のモデルとして登場。ユニークさの極みだったのが、リトラだ。映画「私をスキーにつれてって」の劇中車でもあったそうで、ついでに原田知世がCMやプロモーションビデオにも登場していた。

マスタングに倣った日本のスペシャリティカー! フルオーダーシステムが圧巻の初代セリカとは

1970年にスペシャリティカーとして登場したトヨタ・セリカ(初代)。カタログのコピーも「未来からやってきた車 セリカ」と書かれているほど。セリカの特徴としては、マスタングを真似たフルチョイスシステムを採用したことだ。ここではあらためて振り返ってみよう。
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