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  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)
  • 1958年生まれ。大学卒業後、編集制作会社を経てフリーランスに。クルマをメインに、写真、(カー)オーディオなど、趣味と仕事の境目のないスタンスをとりながら今日に。デザイン領域も関心の対象。それと3代目になる柴犬の飼育もライフワーク。AMWでは、幼少の頃から集めて、捨てられずにとっておいたカタログ(=古い家のときに蔵の床が抜けた)をご紹介する「カタログは語る」などを担当。日本ジャーナリスト協会会員、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員。

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「キョンキョンのレビュー」に「スズキのマー坊」! 嗚呼、懐かしの「軽スペシャリティカー」5選

1970年代に発売された軽自動車の中には「スペシャルティカー」が存在した。ハードトップボディを採用したり、ハイスペックのエンジンを搭載していた。ここでは、女性をターゲットにしたスペシャリティ軽自動車の第2弾として魅力的なモデルを紹介していこう。

「Be-1」「パオ」「エスカルゴ」「フィガロ」! バブルが生んだ日産の「パイクカー」を振り返る

日本のバブル景気が盛んになった1989年から1991年の頃の話だ。日産からパイクカーが発売された。初代マーチをベースに、ボディに架装が施され、個性的でユニークなクルマが4台も登場した。ここでは貴重なカタログとともに各車を振り返ってみよう。

「スカイライン3兄弟」の末っ子! 日産のセフィーロはなめらかな乗り味が「絶品」すぎた

日産の黄金期とも言える1989年にはスカイラインGT-R(BNR32)、フェアレディZといった名車が続々とリリースされていった。その前年の1988年に登場した日産セフィーロは、ローレルやスカイラインとは違う路線で開発が行われた。同車の魅力を振り返る。

いすゞ「最初で最後」の乗用車!「イルムシャー」にも心躍ったセダン「アスカ」を振り返る

1967年登場のフローリアンの後継モデルとして1983年に登場したのがアスカ。当時いすゞはGMとのアライアンスがあり、そのGMのグローバルカー戦略の一翼を担う形でアスカはデビューした。シンプルな4ドアセダンが印象的でイルムシャーもラインアップしていた。

「クジラクラウン」「サニトラ」「サバンナRX-3」! 2021年に「生誕50周年」を迎える「懐かしの国産車」10選

50年前といえば、もう十分に遠い昔のこと。マクドナルドの日本第1号店銀座にオープン、沢田研二「君をのせて」でソロデビューなどなど。では、1971年にはいったいどんな国産車が誕生していたのか? ここでは貴重なカタログとともに振り返ってみよう。

「スプリンターシエロ」「バイオレット・リベルタ」「アプローズ」! 懐かし過ぎる「国産5ドアハッチバック」9選

実用的な4ドアセダンをベースにし、リヤゲートの傾斜を強めて、セダンよりもスタイリッシュ方向に仕立てたのが5ドアハッチバック。その歴史は古く、1965年の3代目コロナが国産車初の5ドアだった。今回は、貴重なカタログとともに振り返ってみよう。

懐かしの「フロンテクーペ」「フェローMAX」「ミニカスキッパー」! 1970年代に花開いた「軽スペシャリティカー」4選

かつての軽自動車といえば、庶民の車として安価で維持費も安い位置づけだった。次第に、スタイリングや走りの性能を極め、ただの軽自動車ではない、スペシャルティカーの分野にも進出していた。ここでは、その代表的なモデルをカタログとともに振り返っていく。

日産初のハードトップ車は「ローレル」「スカイライン」「バイオレット」のうちどれ? 超希少なカタログで振り返る

日本車で初のハードトップボディを採用したのは1965年に登場したトヨタ・コロナだった。では日産初のクルマは何だったのか? じつは1968年に登場した初代ローレルが最初だったのだ。ここでは日産車のハードトップを登場順に6台振り返ってみよう。
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